お茶の効用
お茶でもいかがですか?という声かけが嫌いな人は、まずいないだろう。
カフェでテーブルに着いて、本題に入る前に始まる余談の楽しさ。高い天井と壁には店主好みの絵や写真などが掛けてある。明るい窓際のソファ席に座って、厚手の紙のメニューを開く。厨房からコーヒーの匂いが漂い、そこにパンも焼いているのかイースト菌が焦げる匂いも交じって、「お茶の時間」の幸せ度がいや増してくる。
ところでカフェは「喫茶店」だから、お茶をいただく(喫する)ために設えられた場なので、誘い合って座った人全員に等しくお茶がサービスされる。そうではなくて、お茶、いかが?と誰かが誰かにお茶を差し上げるときは、「その誰か」がお茶を淹れることになる。この「暮らしの中の一杯のお茶」。これもまた、たいせつな日常の一部だと思う。そして時には「お茶が差し出されるまで」は、小説や映画や漫画でも重要なポイントになることもある。極寒のロシアが舞台の小説で、凍えた主人公に紅茶がふるまわれるシーンがあった。主人公が手袋を脱いでかじかんだ手をもみながらテーブルに着く横で、迎えた女性が茶葉をポットに入れ、瓶からつややかなジャムを小皿に盛る。そして、サモワール(外側に水を張り、真ん中に炭が入る仕組みで、水道のような蛇口がついている)から湯が注がれると、豊かな湯気とともに紅茶の香りが広がり、凍てついていた心まで溶かすようだ。
コーヒーでも、日本茶でも、客の前に薫りと共に供されるまでの、「淹れる」仕草もたいせつなお茶の時間。お茶を飲むということの一部なんだと思う。もちろん、そのお茶を味わいながら交わされる会話は、お茶のあるなしで大きく変わるはずだ。
お茶は、人類が創り出した最高の嗜好品、暮らしの必需品だとしみじみ思う。
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