隣室の幼児虐待

大学に進むために上京して、木造のアパートに住んだ。6畳一間で、大家さんは二階に1人で住んでいる初老の女性だった。台所が廊下の奥に部屋の数だけ並んでいて、奥に小さな男の子がいる家族、真ん中が私、入り口には子供のいない共働きの夫婦。この住環境は、当時はそう珍しくなかったと思う。やがて大学で親しくなる「上京組」も、多かれ少なかれ似たような住まい方だった。窓を開けると向かいにも、左右にも、似たような家をアパート化した建物が並んでいた。つまり、鉄筋コンクリート造りの’マンション’’と呼ばれる住宅が次々建っていくのは、それから10年くらいあとのことになる。

隣室の3歳くらいの男の子は可愛かった。周囲が大人ばかりだからか、私が引っ越しの挨拶にお菓子の箱を持って挨拶にいくと、30代かなと思われる母親の腰の陰から、大きな黒い眼を見開いて見ていた。やがて私が台所でやかんに水を入れているときなどに、ドアから出て来て見つめるようになり、次には私の部屋のドアを覗くようになった。私が大学の入学手続きで机に向かっていると、「なにしてるの?お勉強?」と背伸びをする。小さなお手々が机の端に広がって、可愛かった。おかあさんが、これ、おじゃまでしょ、と呼ぶと慌てて帰っていく。季節は春から初夏へ、そして夏へと移ろい、私はアルバイト先や大学に滞在する時間が急速に増えていった。そのころから、男児の様子に変化が出始めた。

頬にあざ、足にも腕にもあざ。ある夜、机に向かっているとき、隣室から窓にぶつかる音が繰り返し響き、男の子の泣き声が聞こえてきた。なぜか身体が震えてきて、私はいたたまれずにお風呂に行くことにした。路地を出ようとしたとき、お隣のおとうさんがちょうど帰ってきたところだった。こんばんは、と言ってすれ違う時、私は思わず「あの」と声を出していた。前から、とても気さくな男性で「大学生か、いいなあ」「俺は勉強し損ねた。うらやましいよ。がんばってね」などと言ってくれて、優しい人、という印象の人だった。だから私は声が出せたのかもしれない。「奥さんは、正くんのこと、殴ってませんか?」。おとうさんの表情が一変した。「やっぱり…」と言う。「前からおかしい、とは思ってたんだよ。正はまだうまく言えないから。実はね、継母なんだ。正は前の女房の子で、さ。私は子どもが大好きだから、なんて言いやがったから一緒になったのに」。18歳の私には、理解できる話ではなかった。それにしても、早く帰ってもらった方が良い。私はそそくさと歩き出して、振り向かなかった。

そして、お風呂屋から出ようとして、仰天してしまった。父親と母親に連れられた正くんが入って来たのだった。父親は私に「よう」と笑い、母親は「あらま、こんばんは」とご機嫌良さそうで、正くんもあどけない顔で「おねえちゃん」と言う。しかし、正くんの左手にはどうみてもふしぜんなあざが増えていた。

A.Hashimoto's blog

母の心、ふんわりんりん…

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