隣室の幼児虐待-2
あとで思い返せば、正くんの父親にしてみれば「俺がいないとき、殴っているだろう」などと、なんの準備もなく詰め寄ることはできなかったのだろう。工事現場で働いているということもあって、朝早く出て、帰りも遅い。虐待者と被害者だけで過ごす時間が圧倒的に長い。これという解決策もなく、詰め寄るだけでは正くんのためにならない。同時に、当時の私にはまだ理解できない範囲だったが、父親と継母との男女としての想いや関係もあるだろう。
翌朝、珍しくゆっくり出かけていった父親と、アパートの入り口にあるゴミの集積場で会った。おはようございます、という私に、彼は手短に「おねえちゃん、悪いけど、また殴ったりしたら言ってくれ。頼むよ」と言ってから、笑いながら去った。「言ってくれよ」と言われても…。私は戸惑いながら背中で見送った記憶がある。
そして、事態はエスカレートしていく。大学が夏休みに入り、私はアルバイト以外では部屋での滞在時間が増えていった。大学の友人やアルバイト先で、隣室の問題を話せる関係はまだできていなかった。そんな夏のある日、正くんは左腕をさらしで釣っていた。思わず、どうしちゃったの?と顔を覗き込むと、半べそになる。でも3歳時に表現力はないし、18歳の私にだってない。「痛い?」と肘に触ってあげるのが精いっぱいだった。その私の背後から、「転んじゃってえ」と継母がキンキンした声で言って、私は飛び上がりそうになった。怖すぎる。
私はアルバイト先から休みをもらい、実家に帰ることにした。逃げ出すのではなく、相談するためだった。私の家族・親族では、次兄が現役の教員、母の兄と姉が元教員。特に母の姉は、既に嘱託だが市役所の福祉課の相談室にいる。つまり、隣室の問題は家で相談するのがいちばん良いと感じたのだ。身支度をしているときも、隣の継母は正くんを暴行しているのか、泣き声と窓ガラスの振動が響いてくる。旅装なって玄関を出ようとしたとき、玄関側のお隣の奥さんが立っていた。両腕を抱えて、私に「怖いわねえ」言う。どこか訴えているような表情だった。
伯母の指示は具体的だった。区役所の福祉課に行って、窓口で、「継子いじめがある」(当時は、児童虐待という言葉はなかった)と言う事。担当はその後紹介されるから、あとは訊かれるままに話せばよい。名前や住所は言わないと信ぴょう性がないから言うことになるが、絶対にお前の迷惑になることはないから、安心しなさい。その通りにした。区役所の福祉課の窓口で、おずおずと「隣の部屋の継子いじめのことで」というと、受付の女性の表情が引き締まった。彼女は無言で立ち上がるとカウンターを出て、すぐに「こちらへ」と私を奥へとうながした。並んでいるブースの1つに通されて、間もなくやって来た担当官と向かい合って座った。
翌日、私服の警察官が玄関側のご夫妻の部屋を訪ねてきて、正くんの継母は半日だけ身柄拘束となり、正くんは青森にあるというおとうさんの実家へと引き取られていった。警察が私のドアをノックすることはいっさいなく、玄関側のお部屋の奥さんから「継子いじめ。怖いわねえ」と言われただけだった。
しかし「こうして正くんいじめは一件落着」とは、ならなかった。正くんがいなくなっても、夫婦が離婚したわけではない。数日後の暑い朝。その日は日曜日だったのでアルバイトもなく、大学もまだまだ始まらず、私は扇風機の風にあたりながら好きな本を読んでいた。その時だった。こうしてやる!という罵声と、悲鳴と、廊下に走り出る足音が続いて、私はまたもや震え上がった。「出かけちゃおう」と私は独り言をいって、カバンをもって廊下に出て仰天してしまった。髪を振り乱した継母が、胸にタオル地のシャツを抱えて座り込んでいる。ど、どうしましたか?声がまともに出ない。「入れてくれる?」と彼女。しかたない。「あ、もちろん」と言って後ずさりして、継母を通す。内心、うあー…と、叫ぶ。背中一面、火ぶくれである。こういうときにさっさと対応できる18歳がいるはずがない。あの時の正くんに対するのと同じように、「痛いですか?」と言い、救急箱から火傷用のオイルを取り出して端から塗り始めた。すると、正くんの骨折の時と同じように背後から「おい、あけろ。そこに居るのはわかっている!」と罵声が覆いかぶさる。「相手がおねえちゃんだって、隠してると許さないぞ!」。私は、18歳なりにがんばる。「いえ、いま開けられません」。すると、数秒経って、「わかったよ。何もしないから」と声が静かになった。やがて継母はよろよろと立ち上がり、行くわね、ありがとう、と出て行った。
あとで聞いたことだが、夫である正くんの父親は、「正の腹には熱湯をタオルに含ませてあてた火傷あとがあった。骨折もあざも許せなかったが、あのやけどがもっとも許せなかった」と私に語った。警察も、幼児虐待を罪としたのだろう。お隣の奥さんも、正くんの継母を「怖い人」と思ったのだと思う。しかし、ふたつ、思うことがある。お隣や向こう三軒隣接のアパートの人達、玄関側の奥さんだって、私が入居する前から、正くんに対する継母の対応に度が過ぎるところがあることを知っていたはずだ。18歳の私が動く前に、大人たちはなにをしていたのか。もう1つ、継母の想いは誰か理解しただろうか。誰よりも夫である正くんの父親は、彼女が継子にぶつけなければならなかった寂しさや、自分の態度にある何らかの理不尽さを無視し続けたのではないか。
ともかく、それなりに人生経験を重ねてきたいま振り返って、小さな命が奪われずに済んだことにだけは、ほっとしている。
0コメント