圧倒的な孤独
寂しい、ひとりぽっち、私の心を誰もわかってくれない…、などという言葉・気持ちはおそらく、何か他者に求める状態だと思う。「圧倒的な孤独感」は、はるかに乾いた、解決は要らない、存在自体に気づかなければそれはそれでよいもの、という気がする。
抜けるように青い空、眼前に広がる静かな海、大木と大木の間にどこまでも奥へと深まる森。その前(下)にいる瞬間に、無限の過去から無限の未来へと移ろう「時」の間で、私は確かにいま生きている、と感じる。そこで浮かぶのが「圧倒的な孤独」という言葉なのだ。
ニューギニア島の高地で、絶滅したかと思われていた「ハイランド・ワイルド・ドッグ」が生息していたことがわかった、とCNNが伝えていた。この犬は別名ニューギニア・シンギング・ドッグという。その遠吠えが歌っているように聞こえるからだ。偶然この映像をみたとき、犬の顎を高く上げて少し歯を見せる鳴き方と、長く遠く消えていくように響くその鳴き声に「圧倒的な孤独」を感じて、魂を掴まれたような気がした。そうして、このシンギングに魅了されたとき、「ひとが生み出している数々の芸術・文化は、この歌声のように、人の魂の孤独に寄り添うものなのかもしれない」とも感じたのだった。
できることなら彼(彼女)の長い首に腕をまわして、ビッグハグを贈りたい。そして、背中をぽんぽんと叩いて、「明日からまた、お互いに頑張ろうじゃないの」とエールを交わす。圧倒的な孤独感は、少しだけ大人の感性なのかもしれない、と思った。
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